大判例

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大分地方裁判所 昭和55年(ワ)386号 判決 1985年3月12日

原告

佐藤末廣

佐藤愛子

右両名訴訟代理人

安部万年

安東五石

被告

大分県

右代表者知事

平松守彦

被告

右代表者法務大臣

嶋崎均

右両名指定代理人

宮本吉則

外六名

被告

大栄商事有限会社

右代表者

安心院武男

右訴訟代理人

富川盛郎

外一名

主文

1  被告らは連帯して原告ら各自に対し、金七三一万一四〇八円と、これに対する被告大分県は昭和五五年五月三一日から、被告国、同大栄商事有限会社はいずれも同年六月一日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

4  この判決は、原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一本件事故の発生

原告らの長男哲哉(昭和四九年八月二九日生)が昭和五四年三月一二日午後二時三〇分ころ大分県日田市小ケ瀬町の玖珠川河川敷の水溜りで水死したこと、右水溜りは、砂利採取業者である被告大栄商事が河川管理者の許可を受けることなく掘さくした砂利採取の跡であること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二本件事故現場と付近の状況

<証拠>を総合すれば、

1  本件事故現場付近では、玖珠川に沿つて北側に国道二一〇号線が走つているが、右国道は福岡県久留米方面と大分方面を結ぶ重要な幹線道路で多くの車両が頻繁に往来しており、現場付近に横断歩道はないこと

2  国道をはさんで反対側に小ケ瀬部落があり、国道の下には同部落と玖珠川の河川敷を結ぶ幅一メートル、高さ1.5メートルのコンクリート敷地下道があつて人の通路として利用されているが、降雨時には国道の側溝等から流れ込む水を玖珠川に流す排水溝にもなつていること

3  地下道を南側にくぐり抜けると、国道改修前の旧堤防の上に出ることができ、国道の擁壁に沿つて幅約二メートル(地下道の出口付近では幅約2.4メートル)のコンクリート製の通路状になつているが、旧堤防に接してその南側が玖珠川の河川敷で(別図面参照)、日頃は大人の背丈を越える叢などが密生し、河川中央の流水部まで藪状になつていたこと

4  ところが、被告大栄商事の前記掘さくにより、地下道前面の河川敷は、旧堤防から約六メートルまでが砂利採取地の表土によつて整地された広場となり、広場の奥から水溜りの端まで約六メートルの斜面は掘さくで出た岩石が積まれて護岸状態になり、砂利採取跡には長さ約四〇メートル、幅八ないし一〇メートル、深さ1.3ないし1.8メートルのプール状の水溜りができたこと(別紙図面参照)

5  事故現場付近の玖珠川は遊泳禁止区域とされ、また地下道南出口の西側約四、五〇メートルから西方に、旧堤防に沿つて水流の速い幅約二、三メートルの農業用水路がある(別紙図面参照)ため、事故現場付近はかねてから子供にとつて危険な場所とされ、哲哉の通つていた幼稚園でも、園側から父母に園児を近付けないよう再三注意していたが、右農業用水路の起点横にあるポンプ室(別紙図面参照)脇の記念碑には時折先生に引卒ママされた小学生の集団が見学に訪れたり、近所の子供達が地下道やその南出口付近で遊ぶこともあつたこと

以上の各事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三本件事故の態様

<証拠>によれば、哲哉は、本件事故当日の午後二時ころ幼稚園から自宅に帰つたが、すぐ友人の五歳になる園児と一緒に、国道下の地下道を通り、自宅から約七、八〇メートル離れた本件事故現場付近で水溜りに石を投げたりして遊んでいるうち、何らかの理由で本件水溜りに落ち、そのまま溺死した事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

四被告大栄商事の責任

1  前示のとおり、哲哉が落ちた水溜りは被告大栄商事の砂利採取跡であるから、右水溜りは民法七一七条一項にいう「土地の工作物」と解されるところ、前記争いのない事実と成立に争いのない乙第七号証、被告大栄商事代表者の供述によれば、被告大栄商事は、河川管理者の許可を受けることなく昭和五三年一二月一七日から昭和五四年一月二〇日まで断続的に砂利採取を行ない、本件事故現場にプール状の水溜りを出現させながら、何らの措置も講ぜずそのまま放置していたが、昭和五四年三月一二日本件事故が発生したため、その直後に自らの判断において砂利採取跡を埋め戻した事実が認められ、他に右認定に反する証拠はなく、右事実によれば、被告大栄商事は、本件事故現場に水溜りができたのちいつでも埋め戻しをして事故の発生を防止しうる立場にあつたことが認められるから、民法七一七条一項にいう「土地の工作物の占有者」であつたものといわなければならない。

2 そこで、右工作物の設置又は保存に瑕疵があつたか否かを検討するに、被告大栄商事が本件事故現場を掘さくするまでは、国道下の地下道を河原側に出ると、大人の背丈を越える葦などが密生し藪状になつていたため、地下道やその南出口付近で遊ぶ子供達も、そこから先の河川敷に降りたり、流水路に近付くことは容易にできなかつたにもかかわらず、被告大栄商事の砂利採取後は、右地下道を河原側にくぐり抜けると、地下道と同じ高さの幅約2.4メートルの通路を隔てて、すぐ眼の前に奥行き約六メートルの整地された広場が拡がり、その先の斜面には岩石が護岸状に積まれ、その下にプール状の大きな水溜りができていたのであるから、事故現場付近は石投げ、石登りなど子供とりわけ幼児の遊びの興味をそそり、そのため幼児が水溜りに付近き、何かのはずみでこれに転落する危険が十分に予測される状態になつたことが認められる。

哲哉が当時四歳という思慮の乏しい幼稚園児であつたことを考えると、事故現場付近の状況の変化に強い好奇心を抱いたことは容易に想像することができ、このような幼児の水死事故を防止するには、砂利採取後すみやかに跡地を埋め戻すか、そうでなければ水溜りの周囲に柵を設置するなどして、幼児を危険な水溜りに近付けないようにすべきなのに、被告大栄商事は何らの措置も講ぜず、危険な水溜りをそのまま放置したため本件事故が発生したのであるから、本件工作物の設置及び保存には瑕疵があつたことが認められ、その占有者であつた被告大栄商事には民法七一七条に基づき原告らの後記損害を賠償すべき責任がある。

3  被告大栄商事は、砂利採取跡の埋め戻しをしようとしたが、小ケ瀬部落の代表者から埋め戻しの中止方の要請を受けたため、埋め戻しを断念した瑕疵があるとして免責を主張し、被告大栄商事代表者はその主張に沿う供述をするけれども、右供述は証人矢野敏久の証言や原告本人佐藤末廣の供述と対比するとにわかに措信し難いのみならず、仮にそのような経緯があつたとしても、ただそれだけの事情で被告大栄商事が「損害ノ発生ヲ防止スルニ必要ナル注意ヲ為シタ(民法七一七条一項但書)」ものとは到底いえない。

五被告大分県、同国の責任

1  玖珠川が建設大臣の指定した一級河川で、その管理は建設大臣が河川法九条一項に基づき行なつているが、建設大臣は同法条二項により本件事故が発生した地点を含む玖珠川の一部を指定区間として指定し、大分県知事に管理の一部を行なわせている事実は当事者間に争いがなく、河川法二五条、二七条、七五条、同法施行令二条によれば、右管理の委任を受けて、大分県知事は指定区間内の河川管理者として、河川区域内の土地において砂利採取や土地の掘さくをしようとする者に対し申請に基づき許可を与えたり、無許可でこれらの行為を行なつている者に対し中止命令、違法工作物の除却、原状回復命令などを発しうる立場にあつたものである。

2  しかし、<証拠>を総合すれば、大分県知事の補助機関である大分県日田土木事務所の職員は、被告大栄商事が本件事故現場で無許可のまま砂利採取を開始した直後の昭和五三年一二月一九日、小ケ瀬部落の自治会長の通報により被告大栄商事の違法な砂利採取の事実を知り、即日電話で中止を指示すると共に、翌二〇日本件事故現場に臨み、被告大栄商事の作業員がパワーショベルやダンプカーを河川敷に搬入し、河川の表土を剥ぎ砂利を採取している事実を確認し、再度電話で強くその中止方を指示したところ、漸く被告大栄商事の砂利採取は中止され、同月二一日係員が本件事故現場に赴いた時には、既にパワーショベル等も現場から引き揚げられていることが確認されたため、大分県日田土木事務所はこれで万事終われりとし、その後の巡回を怠つていたところ、被告大栄商事は翌二二日から再び砂利採取を開始し、昭和五四年一月二〇日まで断続的ではあるが違法な砂利採取を続け、その結果本件事故現場にプール状の大きな水溜りを出現させたが、大分県日田土木事務所では昭和五四年一月二三日本件事故現場付近を巡回し、右水溜りに気付きながら砂利採取の作業が行なわれていないことを確認しただけで、被告大栄商事に対し埋め戻し等の指示はせず、自らも事故防止の措置を何もとらずに危険な水溜りをそのまま放置し、本件事故の翌日(昭和五四年三月一三日)新聞報道で本件事故を知り、あわてて事故現場を調査する有様であつた事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

3 およそ河川管理の目的は、河川について洪水、高潮等による災害の発生が防止され、河川が適正に利用され、及び流水の正常な機能が維持されるようにこれを総合的に管理することにより、国土の保全と開発に関与し、もつて公共の安全を保持し、かつ公共の福祉を増進すること(河川法一条)にあり、同法七五条所定の河川管理者の監督処分も右の目的にしたがい行使されなければならないことは勿論であるが、河川敷の砂利採取跡にプール状の大きな水溜りが出現し、周囲の環境から幼児の転落水死事故が十分予測し得る危険な状態が発生したのに、河川管理者が、そのような危険防止は河川管理の目的外であるとして、何らの措置もとることなく拱手傍観してよい道理はなく、このような場合、河川管理者には、直ちに河川法七五条の監督処分を発動して砂利を採取した業者に埋め戻し等をさせるか、さもなければ、河川管理者自らが河川管理義務の一環として、砂利採取跡を埋め戻し現場における危険な状態を解消するか、とりあえず水溜りの周囲に柵を作るなどして幼児が近付けないようにし、もつて事故の発生を未然に防止すべき義務があるものというべきである。

本件においては、哲哉の水死した水溜りが子供とりわけ幼児にとつて危険な状態であつたことは前示のとおりであり、河川管理者である大分県知事の前示のようなずさんな河川管理によつて本件水溜りが危険な状態のまま放置され、その結果本件事故が発生したことは明らかである。

而して、前示のとおり玖珠川は一級河川として被告国が管理する河川であるから、被告国は、河川の管理に瑕疵があつたものとして、国家賠償法二条に基づき、原告らの蒙つた後記損害を賠償すべき責任がある。

4 河川法六〇条二項によれば、同法九条二項の規定により都道府県知事が行うものとされた指定区間内の一級河川の管理に要する費用は、当該都道府県知事の統轄する都道府県の負担とされているから、被告大分県は、公の営造物(河川はこれに含まれる。)の管理の費用を負担する者として、国家賠償法三条一項に基づき、被告国と共に原告らの蒙つた後記損害を賠償する責に任ずべきである。

六原告らの損害

1  哲哉が本件事故当時満四才であつたことは当事者間に争いがなく、昭和五三年簡易生命表によればその余命は六九・八五年であるから、哲哉は満一八才から六七才までの四九年間就労することができたものと認められるところ、本件事故により死亡したためその機会を失い、その間に得べかりし利益を失つたものである。ところで、「賃金センサス」昭和五三年第一巻第一表によれば、同年における全産業男子労働者の平均年間給与額は三〇〇万四七〇〇円であり、右金額から相当と認められる生活費五割を控除した年間純収入額一五〇万二三五〇円を基礎に、ホフマン方式により年五分の中間利息を控除して、哲哉の就労可能期間中の総収入の現価を求めると、その額は二六五五万七〇四〇円となる。

2  しかし、本件事故の発生には、幼児とはいえかねてから注意されていたのにあえて危険な場所に立ち入つた哲哉にも過失があり、哲哉の両親にも監護不十分の過失があつて、これらの過失が本件事故の発生の重大な原因になつたものといわざるをえないから、損害賠償額の算定にあたつては、右過失も斟酌すべきであり、そうすると、哲哉が逸失利益として被告らに請求できる金額は、右逸失利益額から六〇パーセントを控除した一〇六二万二八一六円と認めるのが相当である。

3  原告らが哲哉の父母である事実は当事者間に争いがないから、原告らは哲哉の地位を相続により承継したことが認められ、各自哲哉の逸失利益の二分の一である五三一万一四〇八円を相続したことになる。

4  原告らが本件事故により哲哉を失い精神的苦痛を蒙つたことは推認するに難くなく、哲哉が原告らの長男であること、本件事故の態様、哲哉と原告らの過失、その他本件にあらわれた一切の事情を斟酌すれば、その慰藉料は原告ら各自二〇〇万円と認めるのが相当である。

七結論

以上の次第であるから、原告らの本訴請求は、被告らに対し不真正連帯債務として、原告ら各自において金七三一万一四〇八円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな被告大分県は昭和五五年五月三一日から、被告国、同大栄商事はいずれも同年六月一日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、民訴法八九条、九二条、九三条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(白井博文)

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